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フィギュアスケーターの浅田真央さんが現役引退を表明しました。

ご報告致します。(浅田真央オフィシャルウェブサイト)

昨日は、テレビでも速報テロップが流れ、今朝のニュースも軒並みこの話題で持ちきりですね。それだけ、衝撃的なニュースだったということでしょう。

まずは、引退発表した真央ちゃん、本当にこれまでお疲れさまでした。素晴らしい演技の数々を見せてもらい、本当にありがとうございました。

さて、僕は取り立ててフィギュアスケートの熱狂的ファンというわけではないんですが、それでも真央ちゃんの姿は、彼女が子供のころからテレビなどで見てきましたし、大会でも応援してきました。今、こうして思い返してみると、これは彼女の持つ "魔力" とでも言うんですかね、なんか応援したくなる感覚が無意識のうちに出てくるんですよね。

きっと、彼女のスケーターとしての側面と、一人の人間としてのそれが最強にマッチしていたんだと思います。それが、「浅田真央」だったんですね。ただ単に、スケートが上手いだけでは多くの人から応援してもらうのは難しいでしょうし、反対に、人間的な面が受け入れられるだけではスケーターとしての存在意義をなくしてしまいます。

よく「国民的○○」なんて言葉が使われますが、彼女は間違いなく「国民的スケーター」だったのだろうと思っています。誰のものでもなく、"みんなの真央ちゃん" という感じがすごくあったと思うんですね。

「天才少女現る」と持て囃されても、奢ることなくスケーターとしての道を走り続け、名実ともに世界トップのスケーターになり、オリンピックにも2度出場(2010年バンクーバー、2014年ソチ)。2006年のトリノオリンピックには、直前のGPファイナルで優勝したにもかかわらず、年齢規定を満たせずに出場できないという、本人も周囲も、言葉にできないもどかしさも味わいました。

きっと、周囲にはわからない苦悩もたくさん抱えていたのではないかなと思います。トップで居続けることへの重圧とか、周りからの期待がどんどん膨らんでいくことに、もしかしたら辟易としたこともあるかもしれません。それでも、彼女は負けなかったし、何より、応援するすべての人たちが、そんな "一喜一憂" を共有していたように感じます。

そして、彼女のスケートには常に物語があり、それが雰囲気として伝わってきました。 リンク以外で見せるふんわりした彼女からは想像もできないくらい、氷上では職人になるんです。他を寄せ付けないようなオーラがいつもあり、そこに周囲も引き込まれてしまうんですね。例えば、2014年のソチ五輪で見せた FS での演技は、今見ても自然と涙が浮かんできます。

思い出すとキリがないですが、「浅田真央」というスケーターが不世出の存在であることだけは確かだと思います。もちろん、それは彼女が生まれ持った天性の感覚というのもあると思いますが、それよりも努力を重ね、周囲の期待に応え続け、自分のスケートをしっかりと理解していたという部分が大きいのではないかなと。 

そんな彼女の、戦う姿をもう氷上で見られなくなると思うと、それはもう心から寂しいことですし、一緒に頑張っていた織田信成さんが号泣する気持ちもよく理解できます。

でも、すべては彼女本人が決断したこと。「なんで引退したのか?」とか「まだできたのに…」と周りがとやかく言うのは違うような気がしています。それに、彼女の引退表明のブログには「この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています」と力強く書かれています。彼女が愛された理由の一つは間違いなくあの「真央ちゃんスマイル」があったからで、それを忘れない限り、彼女はこれからも自分の人生というリンクを華麗に滑り続けてくれるはずです。今は、ひとりの人間「浅田真央」に幸せに溢れた未来が訪れるのを願うことが、彼女への最大の労いとエールになるのではないかなと。

明日(12日)改めて引退会見を開くとのことで、そこで本人の口から素直な気持ちを聞けるでしょう。

最後に。

真央ちゃん、本当に本当にお疲れさまでした。これまでに真央ちゃんが見せてきた演技、人間としての魅力、喜ぶ姿も、悔しがる姿も、悲しむ姿も、すべてが応援してきた人々の中には残り続けると思います。それだけ、真央ちゃんは人の何倍もがんばってきました。だから、これからは自分の人生を、楽しみながら、心行くまで滑り続けてください!本当に本当にありがとうございました。