日本一を目指したカープの戦いも終わり、少しづつ気持ちの整理もついてきたので、そろそろ書いてもいいかなと思い…

20160402-00000080-dal-000-view書こうと思っていたのは、他でもない黒田の引退のことです。ただ、自分の中で軽い気持ちで書けることではなかったので、このタイミングになってしまいました。黒田とともに歩んだと言っても過言ではない僕のファン人生をこの機に少し振り返ってみようかなと。

まず、僕がカープファンになった "きっかけ" はなんだったのか?思い返してみたのですが、実は自分でもよくわからないんですね。小さい頃から気付けば、父親に連れられて広島市民球場に応援に行っていたし、もしかすると、広島人としてはファンになることは必然だったのかもしれません。

そんな小さかった自分は、やっぱり打者のファンだったんですよね。 野球と言えば、豪快なホームラン打つ姿がかっこいい!って思っていましたし、今みたいに投手の巧みなピッチングなんてものには興味なんてなかったわけです。やっぱり、派手なものに惹かれるのが子どもってやつです。

その頃、好きだったのは前田や江藤、金本、緒方、町田、浅井、正田…(ちなみに小学生の頃は緒方のことを「小方」と書いていたのを今思い出しましたw) といった、今でもカープ史に残る選手たちでした。ちなみに、大野もまだ現役でした。この人たちのプレイを見ているだけで楽しかったし、手に入れたサイン色紙を嬉しさのあまりいろんなところに持っていくからボロボロになって、セロテープで修理したりしていましたね。

しかし、いつからかそんな自分の目は違う選手を追いかけるようになっていきました。もちろん、それまで応援していた選手は変わらず好きでしたし、球場に行けば大声で応援していたわけですが、 明らかに僕のカープファンとしての在り方が少し変化していました。

その選手というのが、他でもない "黒田博樹" 投手だったんですね。 

その頃のカープのエースは佐々岡でした。そんなときに、「次代を担うのは君だ」と神様から言われたかのように黒田が出てきたんですね。その頃の黒田は、今の姿とはまるで違っていて、どちらかというと粗削りのスピードボールを投げるパワーピッチャーだった記憶があります。

2003年からは開幕投手を任されるようにもなり、佐々岡からエースの立場を継いで、カープを背負って立つようになりました。この頃から黒田の大きな背中には目に見えないプレッシャーや、責任感が背負わされていたのだろうと。そして、そんな "背中" に言葉にはできない "かっこよさ" を感じて、惹きつけられていったのだろうと、今になって思っています。

当然のように、この頃のカープは弱く、黒田が好投しても援護なくチームは負けてしまうなんて展開も多かったですよね。 それでも黙々と自分の仕事をする黒田は本当に僕のヒーローでした。

そして、忘れもしない2006年のFA権取得時、黒田はカープに残る決断をしてくれた。はっきり言って、今年のように優勝争いができるチームでもなかった当時、野球人としてはなんとも歯がゆいシーズンを毎年のように送っていたのではないかと思います。それでも、ファンやカープのために残ってくれたんですね。「国内ではカープ以外にはいかない」という約束までして。

この出来事で完全に私の心は奪われました。 もう、ゾッコンってやつです。自分たちの応援しているカープのためにここまでやってくれる人間がいるのかと。広島出身ではない黒田が、ここまで広島のことを愛してくれているのかと。

2007年に通算100勝を飾ったときには、記念に黒田モデルのグラブを購入して、今でも大事に持っています。自慢げに野球するのに使っていたので、いい感じに使い込んだ感が出ていますが。。。でも、大切な一品です。

そして、2008年からはメジャーリーグに移籍した黒田ですが、カープを離れても、僕の黒田に対する思いは変わることはありませんでした。"カープの黒田博樹" も好きだったんですが、"人間としての黒田博樹" のことはもっと好きだったんですね。 

お世辞にも目立つ存在ではなかった黒田。例えば、黒田とダルビッシュが同じ日に先発して、 黒田が勝って、ダルビッシュが負けたとしても、翌日の新聞の一面はダルビッシュだったり…正直、こういう扱いが悔しいこともありました。でも、一方で決して派手ではないけど、自分の与えられた仕事に、全身全霊で立ち向かっていく人を応援できている喜びもありましたね。「みんな知らないだろうけど、黒田ってこんなにすごいんだぞ!」と、ひとりで勝手に優越感に浸っていたり(笑)特に横浜に住んでいたこともあり、広島に比べてますます認知度が低いというのもあったのかなと。

2008年7月7日に黒田が準完全試合を達成した時には、山手線車内で一球速報を凝視して、試合終了の瞬間に思わず叫び声を挙げて、涙を流してしまったこともいい思い出です。きっと、一緒にいた友人は引いていたと思います、はい。 

黒田が故障者リスト入りした時には、同じように落胆し、打球が頭部に直撃した時には、この世の終わりかのような気分になり…本当に僕の野球ファンとしての喜怒哀楽は黒田とともにありました。

そして、ドジャースからヤンキースに移籍したときにも、僕の中ではすごく誇らしい出来事でした。世界最高のチームとも言われるヤンキースが黒田を必要としている。ジーター、A.ロッド、リベラ…世界的に有名なスターたちと同じチームで黒田が投げるんだと思うと、興奮せずにはいられなかったわけです。

しかも、ニューヨークのファンは特に起伏が激しく、好投すればヒーローだともてはやし、試合を壊せば、街も歩けないほどの批判を食らわせることで有名です。そんな超シビアな環境で、自分の力で評価を得る黒田の姿が僕の中には確信としてあったんですよね。根拠はないけど、信じて疑わなかった。

そして、本当に黒田はその期待を裏切らなかったんです。ニューヨークのファンも、黒田のことをチームに欠かせないメンバーだと評価し始め、チームメイトからも尊敬を集め、気付けばエースになったわけです。きっと、本人としては大変な苦しみがあったと思います。あるドキュメンタリーでは 「家にベランダが無くてよかったと、本当に思いますからね」 と語っていたことが今でも強烈に印象に残っています。あ、ヤンキースでプレーすることはそういうことなのか...と、あたらめて痛感しました。黒田は、本当にすごいところで戦っているんだと。

ニューヨークから届く黒田に関する記事を読むたびに、いろんな涙が流れました。黒田の野球に一心に打ち込む姿がだんだんとアメリカでも理解され始めたときには、本当に嬉しかったんですよね。周りになんと言われようと、黒田のことを追いかけてきた自分が少しだけ誇らしく思えました。同時に、黒田のことが本当に誇りだった。

そして、その時がやってきました。メジャー時代の後半は毎年のように単年契約を繰り返していた黒田なので、シーズンオフになると去就が取り沙汰されるわけです。僕の中でも、毎年それに気をもむことが冬の風物詩のようになっていました。

2014年12月27日。
黒田博樹、広島東洋カープへ復帰。 

この情報を知ったとき、正直またゴシップかと思いました。毎年のように黒田の意図しないところでそんなガセネタが流れていましたからね。でも、この時だけは違っていたんです。カープ球団から正式に発表があって初めて現実を知りました。

そして、復帰会見の中で 「カープで投げる方が "一球の重み" を感じられると思った」 と語る黒田を見て、黒田の決断の重さを、ファンとしてもしっかり受け止めないといけないと思いました。だって、普通ならあり得ないわけです、メジャーでエース級にバリバリに投げていて、複数球団から1800万ドルとも言われるオファーを受けていた選手が、優勝争いからも遠ざかっている日本の地方球団に帰ってくるわけですよ。奇跡です。

黒田が持っている価値観は、よく知っているつもりでしたし、それがアメリカでは理解されない部分もあったわけですが、 7年間日本を離れていた中でも1ミリも変わることはなかったんです。これが単純に嬉しかった。変わらず、カープを思い続け、自分の信念を貫き、黒田は黒田以外の何者でもなかった。

さらに、カープ復帰後の黒田はさらに凄みを増していました。渡米前の力で押す投球は見せなくなりましたが、完全に新しい黒田の投球がそこにはありました。毎年のように微妙に変わる投球フォーム、投げる球種、配球割合など、ずーっと見てきたから、個人的には新鮮な感覚はそこまではなかったですが、周囲が驚いているのを見て、改めて実感しました。 

メジャー移籍前と変わらない、いやもっと大きくなった、悲壮感にも似た責任感を背負い、黒田は2年間カープで戦い続けてくれました。 身体は古傷だらけ、満身創痍、いつダメになってもおかしくはない中で、常に「この一球が最後」という思いとともに…

そんな黒田が野球人生最後の "決断" を下したのです。

2016年10月17日。
黒田博樹 現役引退を表明。

正直に言えば、カープが優勝を決めたあたりから、なんとなく予感はしていました。カープで優勝するため、もう一度カープの力になるためにメジャーから帰ってきた黒田ですからね、優勝した時点で悲願達成だったわけです。それに、前年のオフにも苦悩の末に現役続行を決めた背景もあり、ある意味もう限界だったのだろうと。 

ただ、ファンとしては、黒田が限界だなんて信じたくはなかったんです。でも、もし限界が近いのだとしたら、ボロボロになる黒田はそれ以上にみたくはなかった。本人だって、それは望んでいないはずです。

第一報を聞いたときには放心状態になりましたが、その後開かれた引退表明会見での黒田の表情をみて、スーッと楽になりました。たぶん、これまで見てきた僕が知る限りの黒田の表情の中で、一番穏やかなものだったんですよね。もう、本当に心の底から自然と滲み出ている穏やかさというか。取り繕ってこんな表情はできないんですよ。この決断に迷いはなかった、悔いはなかったんだということが語らずしてわかりました。

それと同時に、自分のファン人生にも終わりが来たことを悟りました。これで、もう黒田の活躍に一喜一憂することもなくなる、登板の翌日にコンビニの新聞を買い占めることもなくなる、テレビの前で騒ぐことも、電車の中で泣くことも、黒田の魅力を熱く語ることも、すべてなくなるんだと...

変な言い方ですが、寂しいという気持ちよりは、のしかかっていた何かがその瞬間に落ちた感覚ですね。一気に、いろんなものが軽くなったんですよね。きっと、黒田が背負っていたものに比べたら、クソみたいなレベルなんですが、それでも、それだけ黒田のことが好きだったんだなと、引退にして改めて実感したんですね。

結果的に、黒田の現役最終登板となった日本シリーズの第3戦。あの渾身の85球を一生忘れることはありません。黒田の20年の野球人生がすべて詰まった投球だったと思っています。勝利投手にはなれなかったですが、これまで積み上げてきた日米通算203勝のどんな白星よりも、輝いていたのではないかなと。

本当に、これまで黒田博樹という野球選手を応援してこられたこと、幸せ以外のなにものでもありません。全てのことが、かけがえのない思い出です。きっと、これ以上に好きになる野球選手は僕の中にはもう現れないと思います。

黒田の背番号「15」は永久欠番になることが決まりました。もう、誰も背負えないでしょうし、誰にも背負って欲しくないというのが個人的な思いだったので、嬉しい知らせでした。カープの「15」は黒田、そんな記憶とともに、僕の心の中ではいつまでも投げ続けてくれるでしょう。

ただ一つ、最後にファンとして願うことは、「楽しいと思ったことは一度もない」 という野球を少しずつ楽しめるような暮らしをしてくれたらなということです。少年野球の監督をやったっていい、もうこれまでのように身体を痛めつけなくても、少々寝違えたっていいんです。今まで重圧を受けた分、少しは伸びをしてほしいと切に思います。

耐雪梅花麗 (雪に耐えて梅花麗し)

きっと、" 黒田博樹の第二章" は麗しく咲き誇るはずです。今までに長く険しい冬を耐え忍んできたのですから。