詩人・金子みすゞの有名な作品の中に「私と小鳥と鈴と」というものがあります。
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速く走れない。

私が体をゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
小学校の授業とかで習ったことのある人も多いのではないかなと思います。

最近、いろいろな人と話をしていて感じることが、「相手を理解する」というのは、「世の中の多様性を理解する」ことに繋がるのではないかなということです。

というのも、誰かのことを理解しようと思うと、まず自分とは違う考え方や思い、これまでの経験などをトータル的に汲み取ってあげる必要がありますよね。おそらく、自分と全く同じ考えを持った人間は一人としていないでしょうから、たとえ相手の99%を理解できたとしても、必ず理解できない部分が出てくるのは当然だと思っています。

でも、よく考えてみると、その「理解できない」というのは無意識のうちに何かと比べてしまっているからなのではないかなと。例えば、相手の考えを理解できないというのは、自分の考えと比べた上でそこにある違いを認識してしまったがために、理解ができないということだと思っています。

さっきも書いたように、自分と同じ考えの人間はいないはずなので、そもそも理解できないのが当たり前なんですよね。そこで、最初に書いた詩に行きつくわけです。

人間には、それぞれに得手不得手、好き嫌い、生き方、そのスピード感に違いがあるのは当然で、その違いが表面化するのは何かと比べてしまった瞬間からなんですね。そうすると、「比べる」という行為自体がナンセンスな部分もあるのではないかなと思ったりします。

「それぞれの違い=多様性」を理解するためには、「みんなちがって、みんないい」ということを前提に考えることが大事なのではないかなと思う今日この頃でした。