「あなたの尊敬するひとは誰ですか?」

面接などいろいろな場面でよく聞かれる質問ですね。僕自身、尊敬するひとと聞かれて、瞬時に思い浮かぶ人は何人かいます。そもそも「尊敬」ってどういう意味なのかなと思い、改めて辞書で調べてみたのですが、こう書いてありました。
その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまうこと。
人格とか言われるとものすごくオーバーな感じもしますが、言われてみればまさにその通りです。

ただ、僕の中での「尊敬する」というのは、もっと感覚的なものなんですね。「尊敬する」というのには、付き合いがあるとかないとか、深いとか浅いとかいう、その相手との人間関係の形はあまり関係ないのではないかなと。

例えば、尊敬するひととして、芸能人や著名人、歴史上の人物を挙げる人って多いですよね。おそらく、そういう人たちは実際にその相手と会ったことも、話したこともない場合のほうが多いと思います。ということは、交流を持つということ以外に尊敬できる要素があったということになります。

僕の尊敬する人物のひとりに、アイルトン・セナがいます。史上最高のF1ドライバーと称されることも多いセナですが、僕自身実際に彼に会ったことも、話したこともないわけです。もっと言えば、彼が事故で無くなった1994年の時点でセナという存在すら知らなかったと思います。では、なぜいま尊敬しているのか。

きっかけはインターネットでセナの事故動画を見たことでした。しかも本当に偶然。その動画を見たときに、今のF1とは比べ物にならないくらい危険と隣り合わせの怖さを感じたのと同時に、そんな事故で命を失ったアイルトン・セナという人間がどんな人だったのかが気になったんですね。それから、セナに関する情報をインターネットで調べ、本を読み、動画や画像を見て、調べていきました。そうしていくうちに、セナが残した言葉や生き様に共感している自分がいて、尊敬するひとになっていったわけです。

こんな感じで、人を尊敬するきっかけって意外と突然訪れるものなのかなと。で、一度尊敬してしまえば、その人物が自分が生きていくうえでものすごく意味を持つ存在になるんです。困ったときや悩んだときにその人の言葉を思い出したり、なぜだかわからないけど、その人と話すだけで楽になれたりということがあるんですね。

「尊敬するひと=自分の生きる糧になる」ととらえることができるのであれば、「尊敬するひと」っていうのは多ければ多いほど、自分に影響を及ぼす力が増えるということなので、個人的にはたくさん見つけていいものだと思っています。一人に絞る必要もないだろうと。

もちろん、歳を取るにしたがって自分自身の思いや考え方も変わるはずなので、ずっと尊敬し続けられるひとって意外と少ないものなのかなという気もしていますが。

ただ、そんな風にして自分の人生を豊かにしてみるのもありなのかなと思う今日この頃でした。