俺のブログ見ても構わんよ。

タイトルほど偉そうな人間ではないです。気ままにいろんなことを発信したいと思います。

最近、プロテニス界で八百長疑惑が騒がれています。

プロテニスで八百長疑惑 四大大会覇者も (BBC.com)

僕はテニスが大好きなので、プレーもしますし、観戦したりもします。ちなみに、現在開催中の全豪オープンでは、大好きな選手の一人であるレイトン・ヒューイットにとって現役最後の大会ということもあり、注目しています。
だから、こういう話が出るのはやっぱり気持ちのいいものではないですね。

どのスポーツでもそうですが、「八百長」と言われた瞬間から純粋な気持ちで協議を楽しめなるっていうのはあると思います。自分の応援している選手の勝ち負けが誰かに操られているとか考えるだけでテンションはだだ下がりですよね。

今回の件については、ジョコビッチやフェデラーをはじめとしたトップ選手達も口をそろえて「許すべきではない」といった旨のコメントを残していますが、こういうトップ選手たちが公に否定コメントを出すことはとても意味があります。トップ選手になればなるほど、知名度も上がるし、ファンだって増える。その世界に及ぼす影響は大きくなる一方ですからね。そうした選手の一挙手一投足っていうのは常に重みを持ちます。

スポーツでお金が動くケースはたくさんあるので、何もお金を動かすこと自体が悪いわけはないと個人的には思っています。商業的な意味合いも含んでいるのが今のスポーツ界ですから。良いか悪いかは別として、F1なんかはどんなに優れたドライバーでもスポンサーマネーが付かないとシートを獲得できなかったりします。

ただ、それが普通に応援しているひとの見えない裏側で繰り広げられるとクリーンさが一気に失われると思うんですよね。結局は、スポーツを応援するのは人間なので、その人の心の持ちよう次第ですべてが変わってきます。大体の場合、裏側に何かがうごめいていると分かったとたんに、純粋な気持ちでは楽しめなくなります。「八百長」の何が悪いかといえば、この部分が大きいのではないかなと。

話はズレますが、今回のSMAPの解散騒動に関しても、普通に応援しているファンからは見えないところで、いろんな人間関係や思惑がグルグルしてるっていうのが、世の中的なモヤモヤを生んでいるんだろうなと思ったり。もちろん、すべての物事の裏側まで全部知る必要はないと思いますが、純粋に楽しめるだけの情報というか、現実を見せてほしいなと思う今日この頃です。

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

今年もマイペースで更新していきたいと思っていますが、なるべく多く更新できるようにがんばろうと思っています。

さてさて、年末年始は例年関東で過ごすことが多いのですが、先日初詣やら何やらで東京を歩いていた時に感じたことがあります。 

「ここは本当に日本なのか?」 

というのも、そこら辺から聞こえてくる話し声が日本語以外の言語ばかり。特に中国系の言葉が多かったかな。中国語は音的にも目立つのでそう感じただけかもしれませんが、本当に外国人が増えたなと。こういうのを「インバウンド」と言うのでしょうが、やっぱり日本は観光大国なんですね。

ちなみに、日本政府観光局(JNTO)の資料によれば、2014年時点での訪日外国人数は約1,340万人、前年からの伸び率は約30%。対する出国日本人数は1,690万人ですが、前年からの伸び率で見ると-3.3%になっていますね。
参考:年別 訪日外客数, 出国日本人数の推移(日本政府観光局) 

ということは、このままの状況が続けば、日本人は日本に留まるようになり、外国人はどんどん日本に来るようになる!日本に滞在する人の数はうなぎ上り!みたいな展開になるわけです。

訪れる理由は人によってそれぞれだと思いますが、観光客の多くは日本が好きで訪れたりしてるわけなので、それはそれで嬉しいことです。観光地が賑わえば、そこで新たなビジネスが生まれ、雇用が創出されて、日本の経済は上向きになると、単純に考えればメリットは大きい。 もちろん、文化の違いによるトラブルや犯罪などが増加するリスクなども伴いますが。 

こんな今の情勢の中で、日本がやらなければいけないことはやっぱり訪れてくれた外国人の方にどれだけ「満足してもらえるか」 を考えることだと思うんですよね。せっかく何かを期待して日本に来てくれたのだから、それ以上に満足してもらえるに越したことはないはずです。満足してハッピーになって、また日本に来てもらいたい。

これって、企業がサービスを行う上でも同じだと思います。例えば、あるアプリをリリースして、みんなに使ってもらえるようになれば、今度はそれをどんどん良くしていこうとアップデートしますよね。「ヒットしたからもういいや」ではなくて、ユーザーが期待していることや世の中の流れを汲み取って、少しずつでも良くしていこうと考えることで、ユーザーの満足度は高まっていくわけです。そして、もし次に違うアプリを作ってリリースしても「あそこが作ったアプリだから使ってみようかな」と信頼をベースに使ってもらうという最初のハードルを下げることができます。

だから、まず日本に来てくれたということの意味をしっかり理解して、次に日本を気に入ってもらえるような施策を打つ。それは、表面的なものではなくて、少し前に流行った日本人の持つ「おもてなし」の気持ちが大切になるんだろうなと思っています。

日本人にとっても、外国人にとっても過ごしやすい日本になればいいなと、思ったお話でした。 

「あなたの尊敬するひとは誰ですか?」

面接などいろいろな場面でよく聞かれる質問ですね。僕自身、尊敬するひとと聞かれて、瞬時に思い浮かぶ人は何人かいます。そもそも「尊敬」ってどういう意味なのかなと思い、改めて辞書で調べてみたのですが、こう書いてありました。
その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまうこと。
人格とか言われるとものすごくオーバーな感じもしますが、言われてみればまさにその通りです。

ただ、僕の中での「尊敬する」というのは、もっと感覚的なものなんですね。「尊敬する」というのには、付き合いがあるとかないとか、深いとか浅いとかいう、その相手との人間関係の形はあまり関係ないのではないかなと。

例えば、尊敬するひととして、芸能人や著名人、歴史上の人物を挙げる人って多いですよね。おそらく、そういう人たちは実際にその相手と会ったことも、話したこともない場合のほうが多いと思います。ということは、交流を持つということ以外に尊敬できる要素があったということになります。

僕の尊敬する人物のひとりに、アイルトン・セナがいます。史上最高のF1ドライバーと称されることも多いセナですが、僕自身実際に彼に会ったことも、話したこともないわけです。もっと言えば、彼が事故で無くなった1994年の時点でセナという存在すら知らなかったと思います。では、なぜいま尊敬しているのか。

きっかけはインターネットでセナの事故動画を見たことでした。しかも本当に偶然。その動画を見たときに、今のF1とは比べ物にならないくらい危険と隣り合わせの怖さを感じたのと同時に、そんな事故で命を失ったアイルトン・セナという人間がどんな人だったのかが気になったんですね。それから、セナに関する情報をインターネットで調べ、本を読み、動画や画像を見て、調べていきました。そうしていくうちに、セナが残した言葉や生き様に共感している自分がいて、尊敬するひとになっていったわけです。

こんな感じで、人を尊敬するきっかけって意外と突然訪れるものなのかなと。で、一度尊敬してしまえば、その人物が自分が生きていくうえでものすごく意味を持つ存在になるんです。困ったときや悩んだときにその人の言葉を思い出したり、なぜだかわからないけど、その人と話すだけで楽になれたりということがあるんですね。

「尊敬するひと=自分の生きる糧になる」ととらえることができるのであれば、「尊敬するひと」っていうのは多ければ多いほど、自分に影響を及ぼす力が増えるということなので、個人的にはたくさん見つけていいものだと思っています。一人に絞る必要もないだろうと。

もちろん、歳を取るにしたがって自分自身の思いや考え方も変わるはずなので、ずっと尊敬し続けられるひとって意外と少ないものなのかなという気もしていますが。

ただ、そんな風にして自分の人生を豊かにしてみるのもありなのかなと思う今日この頃でした。

けんすうさんが先日こういうツイートをされていました。


これは、もう本当に自分のようなしがないブロガーというか、半ば自己満足のために記事を書いている人間からするとものすごくチカラをもらえる言葉だと思います。

ぼくの中でのブログというのは、自分が考えたこと、感じたことなどを自分が好きなタイミングで好きなように表現できるものという位置づけです。だから、ブログを誰かに読んでもらおうとか、ましてや「なんで読んでくれないんだ!」なんていう感覚はあまりありませんね。

だからこそ、ふとした時に「ブログ読んだよ!」とか「あの時こう書いてたよね」とか思わず反応をもらえるとすごく嬉しいわけです。自分が期待していなかった反応がもらえるわけですからね。 

でも、もう少し言えば書いているからには「誰かに伝われば嬉しいなぁ」くらいの思いはやっぱりあったりします。僕自身もいろんな人のブログとかツイッターとか読んで、やっぱり勇気をもらったり、感動したりするってことはあるんですね。とくに、ネットを介していろんな人々と圧倒的に繋がりやすくなった今では、そういう刺激を受けるタイミングって結構多いものです。

昔運営していたブログで記事を書いたときに、見知らぬ方から「記事を読んで勇気をもらいました」とコメントをもらったことがあります。自分が感じたままに書いた記事が、どこかで知らないうちに他人に影響を与えていると実感できたことがすごく新鮮でしたね。 

もちろん、反対に批判めいたコメントをもらうこともあったし、それに応戦したこともありました(典型的な炎上させるパターンです...笑)でも、そういうのすべて通じて、ブログをやっている意義だと思いますし、そこで自分の表現ができなくなってしまったら、なんのために書いているのかも分からなくなってしまうわけです。

今回のけんすうさんのツイートを読んで改めて思いましたが、やっぱりひとつのことを続けることって大切なんだなと。結局、生まれた直後に意味を持つことって、実は意外と少なくて、何日、何ヶ月、何年か経った後で、自然と意味が見えてくるってことの方が多いんじゃないかな。

だからこそ、ブログを書き続けて有名になる人もいれば、やもすると新聞や雑誌よりもよほど影響力を持つブログが出てきたりするんですね。これまでは、マスメディアから発信される情報の受け取り手に過ぎなかった各個人が、自由に情報を発信することもできるので、メディアのあり方みたいなものは確実に変わっていると思います。

というわけで、これからもどんどんブログやツイッターなどで発信を続けていこうと思います。